久しぶりの小唄徒然草発信です。
61回目の小唄徒然草は、
里園志寿栄師匠の小唄を特集します。
小唄春日派にいると、井の中の蛙になりかねないので
春日派以外の師匠を勉強しています。
里園志寿栄(りえん しずえ)読み方だどおもっていたら
(さとぞの しずえ)さんと記載された文献がありました
私も、「移り香」や「みよしの」など、里園志寿栄さんが
作曲した小唄は、春日派で勉強したことがありますが、私が里園志寿栄さんの作曲で、一番好きなものは、このれこどにも収録されていますが、「堀川」(仇花の)という小唄です、「堀川」という曲は、以前皆さんにお聞きし、音源や譜面を強力していただいて、大変有り難かったのですが、作曲者みずから、唄っている音源が欲しくて、ヤフーオークションで、検索登録しておいたら、検索アラートが届いて、購入することができました。
このレコードは、ほとんど、里園志寿栄さんの作曲ですが、中には中山小十郎さん作曲や新内の方の作曲のものもありますが、歌声はすべて里園志寿栄さんです、
里園志寿栄師匠について
里園志寿栄が京都左京区丸太町で『小唄里園派』を樹立したのは、戦後間もない昭和二十三年五月(三十七 歳)であった。
師は、本名里園シズエ。明治四十三年十一月鹿児島市に生れた。幼い時から芸事が好きで山村流の舞踊を習い、
十四歳で鹿児島の妓籍に入り舞妓となった。当時お姐さん芸妓の喜代三が美声を以て知られていた。
ここで長唄・常磐津・民謡などを習ったが、芸で身を立てるなら大都会と十九歳の時大阪に移った。
そして清元を延久に就いて延久女静の名を戴いた。小唄は始め、お姐さん芸妓から手ほどきを受けたが、
正式に稽古は、昭和八年に大阪に出稽古に来ていた小唄幸兵衛で、
そののち、大阪の春日とよ玉(昭和・6年歿)に就き、
のち、大阪の堀小満砂、(のち初代寿木本政)に就いて、堀小砂豊の名を戴いた。
昭和六年頃から勉強のため屢々東京に上京する事が多かったが、
十一年(二十六歳)に東京の柳橋に移り、金奴の名で芸者に出た、その美声を買われてビクターの専属となり、
当時の俚謡・新謡の流行の波に乗って 俗曲を吹込んだ。
昭和十一年に『シャントセ節』『ホッチョセ節』を、その後『田原坂』『 挽節』をレコード化した。
当時は二三吉、勝太郎、市丸、喜代三、という鶯芸者が
全国から集って研を競い合った時代で、
金奴はその中にあって艶と張りのある美声を謳われた一人であった。
昭和20年、東京と大阪は、戦火をうけて無残に焼け果て、柳橋に住んでいた金奴は、
妹の嫁いでた京都で、何か商売(旅館)をするつもりで、夫君と共に二十一年京都に移り住んだ。間もなくNHKの京都放送局から小唄の放送を頼まれたのがキッカケで、夫君も独立を希望したので、ビクターの人々や先輩知人に相談した結果、小唄で独立するように勧められ、
意を決して堀派から戴いた 名前をお返しして、本名のシズエを生かして、
家元、里園志寿栄 の名乗りをあげたのであった。
当時京都の小唄界は、戦前からの柳古葉を筆頭に、春日とよ延、蓼胡葉の三派があったが、志寿栄は、京都のほか大阪市南区にも稽古所を開いて江戸小唄を教え始めた。
その頃大変教えるのに苦労した。
それは京都は、土地柄、邦楽熱心なのだが、
江戸小唄を習う場合、どうしても関西風になる事であった。
そこで江戸時代に生れた上方小唄や地唄系の所謂 『上方唄系の小唄』を始めに教えて、
小唄の世界に馴染ませてから『江戸前の小唄』を教えることにしたが、この試みは成功した。
次に志寿栄の考えたことは、関西人に共通な芸の基本である『浄瑠璃』(東京では義太夫節と呼ぶ)を基礎 とした新作小唄を作って、皆さんに唄って戴くということであった。
幸い、夫君が大阪の文楽座の吉田文五郎、 桐竹紋十郎を贔屓にしていたりで、
早速文楽座をたづね、本格的に浄瑠璃を勉強した。そして苦心の末作り上げ たのが『浄瑠璃小唄であった。
つるべ鮨(又は三吉野) 本調子 高谷伸 詞・ 初代里園志寿栄
本調子
三吉野の 色珍らしい
草なかに 迷いこんだる蝶一つ
思い染めたが 恋のもと
たとえ焦れて 死すればとて
鮎に愛もつ鮨桶の
しめて固めた 二世の縁
二つ枕の 花の里。
(陰暦晩秋九月・ 昭和二十七年五月開曲)
【名題」「義経千本桜』時代物。五段。延享四年十一月竹本座人形净瑠璃初演。
竹田出雲·三好松洛·並千柳合作。通称『千本桜』。源義経と静御前の悲恋を中心に、
義経のために、屋島や壇の浦で、滅された平家の 人々の、後日物語で、三段目が吉野下市村の鮨屋の段である。
[梗概] 文治元年秋九月、奈良県吉野の下市村の名物『釣瓶鮨』の主人弥左衛門は、もと平重盛に仕えた武士で
今は親里へ戻って鮨屋を営んでいる。
三月の始め偶然に、重盛の一子、三位中将、維盛卿が、屋島の陣から、
源氏の眼をのがれて、熊野浦に落ちのびて来たのに出逢い、
道中で、月代をそって下部風に姿を変えて、吉野に連れ 戻り、弥助という吾名を譲って、一緒に鮨商売。
今宵一人娘のお里と祝言さしょうという心は、娘を宮仕えさせる心算である。 ところが訴人があって、
梶原平三景時が、維盛詮議のため下市村へ来り、弥左衛門に呼出しがかかる。
進退極まった弥左衛門は、偶々山道に斬り殺されていた若侍の死首を手に入れ、
之を代りに差出さんと腹をきめる。
(若侍は維盛の御台所若葉の内侍と六代君のお供をする主馬小金吾であった。)
梶原平三が鮨屋をひしひしと取巻く所へ、『維盛夫婦、餓鬼めまで生捕りました』と
鮨屋の惣領、いがみ の権太というならず者が、怒鳴りながら維盛の首と若君・内侍を猿しばりにして差出すので、
梶原は『音に聞くいがみの権太は悪者と聞きしが、お上へ対しては忠義の者』と、
頼朝公より拝領した羽織を褒美にして立去る。
弥左衛門は憎さも憎しと、吾子権太の隙をみて刺し殺すが、意外にも権太が差出した首は鮨桶に隠した小金吾の首、
若君・内侍は権太の女房小せんと倅善太で、権太が命を捨て、女房子供を捨てての改心のしるしであった。
かくて維盛は、頼朝の羽織を刺して一門の恨みを晴らし、自らは僧形となって高野山へ上るのであった。
[解釈と鑑賞]この小唄は文楽座の人形遣い吉田文五郎師の遣う『鮨屋』のお里を唄ったものである。
里園志寿栄が『お園』作曲の二年後に高谷伸に作詞を依頼したもので、【高谷伸】は、京都の生れで
京都絵画専門学校を出た演劇評論家・劇作家で、「たとえ焦れて死 すればとて」⋯⋯のお里の最高の聞かせ所のくどきを
小唄とした。
作詞は、つるべ鮨の看板娘お里が、恋焦れる手代の弥助と、今宵祝言と楽しみにしていたのが、
一瞬にして維盛卿と判明し、涙と共に駆けよって『過ぎつる春の頃、色珍らしい草中へ、絵にあるような殿御のお出で、維盛様とは露知らず、女の浅い心から、可愛らしい、愛しいと思い染めたが恋の元、
父も聞えず母さんも夢にも知らせて下さんしたら、例え焦れて死すればとて、雲井に近き御方へ、
鮨屋の娘が惚れらりょか』と口説く所で ある。
『蝶一つ』は維盛卿をさし、『鮨に愛もつ鮨桶』は鮎鮨のことで、器が釣瓶の形をしている所から
つるべ鮨と名付けたものである。 文楽では豊竹山城少掾の語り、四世鶴沢清六の三味線、
人形では、吉田栄三の権太、吉田文五郎のお里が 絶品とされていた。
文楽の三味線鶴沢道八は『お里はいくら色気があっても構いませんが、大和下市在の田舎娘なので、
どこか野暮ったい色気――大阪言葉でいう”もっさり”とした色気がなければなりません。』
と語っているが、人形の吉田文五郎は『お里のカシラは笹屋、維盛は源太です。お里のサワリは歌舞伎と違 って人形では、
殆ど手拭一本ですませます。即ち「鮨屋の娘が惚れらりょか⋯⋯」で、手拭を持って顔を隠し、
「思いこんでいるものを⋯⋯」で、その手拭を口にくわえて泣落す⋯⋯といった塩梅です。』と語っている。
里園志寿栄の作曲はこうした事を頭に入れて、「思い染めたが〜二世の縁⋯⋯」までのお里のクドキを、
浄瑠璃調をたっぷりといれて、『酒屋』の人妻お園よりも一段と派手に唄い上げているが、
その裏に、娘心の 可憐さを十分に織り込んでいた。
開曲は前回と同じ祇園会館で、志寿栄の唄、志津清の糸、志津華の替手で、
今度は、夫君の贔屓の吉田文五郎の振付で、出遣いでお里の人形振りをみせ、聴衆は、ただうっとりと
この小唄に聞きほれたのであった。こ うして志寿栄は偶然にも、その苗字里園に因む「浄瑠璃小唄」を作り上げたのであった。
つるべ鮨(又は三吉野) 高谷伸 詞・ 初代里園志寿栄・曲
唄・春日とよ栄芝 糸・春日豊芝洲
本調子
三吉野の 色珍らしい
草なかに 迷いこんだる蝶一つ
思い染めたが 恋のもと
たとえ焦れて 死すればとて
鮎に愛もつ鮨桶の
しめて固めた 二世の縁
二つ枕の 花の里。
(陰暦晩秋九月・ 昭和二十七年五月開曲)
京都の里園志寿栄 【初代里園志寿栄(明治四十三年生まれ)]
昭和二十二年東京から京都に移って小唄家元を名乗った里園志寿栄は、
京都の人々が『江戸小唄』に肌染まないので 、関西人の芸風に合った新作小唄を作って唄ってもらって
江戸小唄の真随に迫ろうと 下記のような順序で新作小唄を作曲した。
浄瑠璃小唄
新内小唄
新内調の現代小唄
本格的な京小唄
民謡小唄
新内調の現代小唄
移り香 本調子 小野金次郎.詞 初代里園志寿栄・曲
移り香や たたむ寝巻の襟元に
ひと筋からむ こばれ髪
帰してやるんぢゃ なかったに
ふくむ 未練の 夜の盃。
(新暦晚冬一月・昭和三十年八月開曲)
[解釈と鑑賞]
志寿栄がビクターの依頼で新内小曲『浦里』『吉三ざんげ 『お駒』を発表レコード化した時、
東京人には大いに歓迎されたが、地元の京・大阪の人々は之に大反対であった。
里園さんは『浄瑠璃小唄』で充分で、何故江戸で生れた『新内』を今更関西に持込むのか。
これ 当然な批判で、上方には新内小曲はなじまぬとする旦那衆は、志寿栄の 新内小曲を習おうとする者は一人もなかった。
この危機に際して、関西の人々に新内の節調のよさだけでもわかって貰いたいと考えた志寿栄は、
偶々京都を訪れた小野金次郎に、方面を変えた現代小唄の作詞を戴いて作曲し、
一かばちかをかけたのが新内調の『移り香』であった。 作詞の小野によると、
この小唄の主人公の女は十人並の器量をもちながら二流の花柳界を歩いてきて、
男運が悪く、いまの旦那に囲われて、裏通りの煙草屋の二階あたりに住んでいる。
男は宵の口に帰ったが、今夜は馬鹿 に凍てつくし、何故か今夜に限って気が滅入る。いまの旦那を心から愛している女は、
いっそ帰すんじゃなかったにと燗ざましを男の飲んだ盃についでごくりと飲む、という秀作詞である。
志寿栄の作曲は「移り香や〜こぽれ髪⋯⋯」までをしっとりと唄い、「帰してやるんぢゃトンなかったに 」から、
新内の節廻しとしたが、新内節にならぬよう独特の寂のある声で『新内』を匂わせて 「夜の盃」をカンにして、
あくまで現代小唄の女唄として唄い上げた。
開曲は『大阪美園会』(大阪松坂屋ホール)で、志寿栄の唄、志寿清の糸、志寿華の替であった。
この曲を聴いた京・大阪の小唄人は、今更のように、志寿栄の情緒纏綿たる新内調の現代小唄に聞き惚れ、
今まで反対していた人々がこぞってこの曲を習い始めた。
のち芸の姉の、初代本木寿以が、志寿栄の諒解を得て、ビクターでレコード化し、この名曲は忽ち
東京はもとより、全国を風靡した。
移り香 本調子 小野金次郎.詞 初代里園志寿栄・曲
移り香や たたむ寝巻の襟元に
ひと筋からむ こばれ髪
帰してやるんぢゃ なかったに
ふくむ 未練の 夜の盃。
(新暦晚冬一月・昭和三十年八月開曲)
里園志寿栄の小唄 ビクターレコード 1976年(昭和51年)
A面歌詞
1、お 駒
本調子
恋風やこの世に男は只一人
添いとげたきの一念は 登る恋路の剣の山よ
しんぞ私の心では 天神さまへ願かけて
梅を一生たったぞへ 二世も三世
先の世かけて誓いし仲のなかなかに
おこまかわいや京人形 糸のもつれの仇枕
わけもなや
2、引窓
本調子
引く紐の ただ一すじのあけたてに
地獄極楽わけへだて まだ日も高い引窓に
うつる二階の人の影
3、堀川(仇花の)
本調子
仇花の にごりに白く咲きながら 深き情の堀川に
流す浮名の夫婦仲 なまなか一人残れとは
そりゃー聞こえませぬ伝兵衛さん 立つる女の道すぐに
涙の道と行く空に 今宵かぎりの天の川
やつす姿や露の編笠
4、葛の葉
本調子
恥かしや 人に姿を借る身とて 離れ難なき親と子の
情にへだてあろかいな ねんねんころころこの母を
恨むまいいぞや いとし子よ
夫子に添い寝する夜も
暇夜の床を限りとは 六年前にすくわれし
命の恩の深見草
5、お光
本調子
さきがけの 梅ヶ香しとう
うぐいすの 里に夢みし綿ぼうし
天神様や観音の御利やくと
なますごしらえ嬉しさに
手先もはづみ 気もはづみ
その祝言も先の世かけて「久松様」
死ぬる覚悟と知るからはどうさかづきが出来ようぞ
今はおしげも投げ島田 ふっつり切りし黒髪の
襟にかけた五条架裟 (もうおさらば)
浮世を捨てし白無垢の心に遠き 里の仇夢
6、吉三ざんげ
墨染の 衣に重き夜の雨
お七思えばしかすがに
払いかねたる涙かな
江戸桜仇に散らじともろ袖に
かばい合うたる 浮名同志
噂をされた 読売に
よみすてられし 恋の鉦
里園志寿栄B面
B面歌詞
1、浮かれ磐梯
土屋健作詞/中山小十郎作曲
二上り
おらが旦那はよ 酒が大好きで 大好きで
宵に三合 寝酒にゃ二合 朝は 朝酒 お湯の中
酒も酒だが 踊りも大好きで 唄につられてちょと踊り出す
イーヤァ めでためでたの若松様よ 浮かれ磐梯
エーまた祝い唄 お湯の窓から磐梯山を見れば
黄金の花ざかり
2、麻のれん
本調子
清水の 鏡のひびきに 宵やみの
せまりし祇園 色めきて
ほかげをいそぐ こっぽりの
音もかわいや振袖に
かくす舞妓の恋心 ほのかにともるちょうちんの
色も嬉しき格子戸を 明けて涼しき
麻のれん 今晩はおおきに
3、灰の文字
三下り
所在ないまま 火箸を筆に 灰の文字
女の名前や丸や角
うず巻を書いたり消したり
消したり書いたりつついたり
4、 八尾の秋
本調子
紅に染めあげられた黒部の紅葉
もえてちりたいこい風に
「キタサノサ ドッコイサノサ」
私しゃ会いたい おわら 人がある
可愛い娘のうた声に
月もうかれる 八尾の秋
5 あつさりと
本調子
あっさりと
水に流せばそれまでの
ほんの浮気と知りながら
妬いて怒ってすねまする
だって私は女房ですもの
6、宮津行くなら
本調子
宮津行くなら 船路を行きゃれ
恋の橋立て青々と 待つ身をかこつ港町
二度と行くまい 丹後の宮津 縞の財布が 空となる
ゆうべ極楽 いかりをあげりゃ
けさは地獄の波枕 胸に未練の渦がまく
7、からす炭
本調子
からす炭 二度の勤めを 藁炭の
情けに燃えて鉄瓶の
湯まで沸かしてこぼすとは
さてもめでたき 灰かぐら
8.水 鏡
二上り
おぼろ月
照らす 野面背に 八千草の
乱れ心か 野狐が まねぐ尾花に
浮かされて 草をかざしの 袖びょうぶ
誰に みしようとのう 品ぶりを
うつす小川の 水鏡
9 去年から
本調子
去年から切れたつもりのあの人に
なぜか逢いたくなりました
知らぬ座敷の酔ざまし
恋のみれんと云うものか
一人見ている大文字の
きえてしじまの 夜のまち
10、 一の糸
本調子
忍び逢い 二つ枕に なぞかけて
そっと 引き寄せ三味線の
一を殺してネ 二をよけて
三で互いに気をしめて
思いの丈を本調子
糸に綾なす胸と胸
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