春日とよ喜ぬの魅力2

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春日とよ喜ぬの魅力2

レコード  一、  つれなくされし・土手に飛び交う

つれなくされし

つれなくされし淋しさに  つい愚痴になるこの頃は 浮世の義理も五月雨や 鳴かぬ日ぞなき 時鳥。

大正前期に作られた江戸小唄である。主人公は芸妓である。浮世の義理に隔てられて、男がこの頃絶えて逢いに来てくれないのを、つれなくされたと考え、夜毎日毎時鳥の鳴き声を聞きながら、涙に袖を濡らしている、という所を唄ったもの。歌詞は正しく明治調で、村幸の作曲もまた明治期の江戸小唄である。筆者はこの小唄を読むたびに、この小唄は村幸の愛人春日家の鶴助(のちの春日とよ)の心境を綴ったものの様な気がしてならない。或いは、この歌詞を鶴助が書き、作曲を村幸がしたのではあるまいか、そう考えると、この小唄は一段と興趣が湧くような気がするのである。
小唄鑑賞 木村菊太郎著より引用

土手に飛び

夏の夜の団扇片手の蛍見物で、初心(うぶ)な娘が、飛んでいる蛍を押さえる振りをして、団扇で思いの人の手を押さえるといったところの小唄です。

レコード 二、廻り燈籠・心でとめて

廻り燈籠

廻り燈籠 ゆらゆらと
浪がゆがんで 舟が来る
陸(おか)にゃ人力 花電車
犬も負けずに走るなら
姐さんお座敷お急ぎか
裾もほらほら川風に
ぽんと花火の 散る浪が
まためぐり来る くるくると
ほんに浮世はまわりもち

心でとめて

心でとめて帰す夜は 可愛いお方のためにもなろと
泣いて別れて又ごげんもじ
猪牙の蒲団も夜露に濡れて あとは物憂き独り寝するも
ここが苦界の真ん中かいな

三、打ち水・川風

レコード 三 打ち水 川風

打ち水

【歌詞】
打水の したたる草に光る露 
恋に焦がれて鳴く虫の
をあわれと聞くほどの
寂しい我が身に誰がした
【解説】
佐藤隆三作詞 春日とよ作曲
まだ日中は暑さも残り、やっと日が落ちて、庭に打水をし、うちわ片手に、虫の音に耳をかたむけて・・・ふと我が身を思う時、心の底からつきあげてくる、わびしさを強く訴えずにはいられません「聞く程の淋しい」と
薗八ぶしがはめ込んであります

川風

川風につい誘われて涼み船 文句もいつか口舌して
粋な簾の風の音に 漏れて聞こゆる忍び駒
意気な世界に照る月の 中を流るる隅田川
【解説】
江戸時代の隅田川のお船遊びは、主に江戸詰めの留守役や、お店(たな)向けの主人側で招待したり、されたり、またお屋敷の侍が、酒の席がはずんで出掛けることが多かったが、この風習は明治になっても続けられた。この江戸小唄は晩夏七月の夜の大川の涼み船、月は中天にかかって夜はいたく更けている。屋根船の簾はもちろん下されて、漏れて聞こゆるものは粋な爪弾きの音である。隅田川と屋根船と簾、月に忍び駒という小道具を並べて、好いた同志の口舌の文句を聞かせる趣向で、小唄らしい小唄となっている。
忍び駒=音のたたぬように工夫された特殊な駒
中を流るる=武蔵国と下総国の間を流れる隅田川の意

レコード四  通り雨

通り雨

通り雨 縁は深川 馴れ初めは 借りた庇(ひさし)の 雨(あま)やどり濡れて寄る身の 勢(きお)い肌 仇(あだ)な 羽織の達引(たてひき)に
ふと、恋風が 連子窓(れんじまど)神立(かんだち)という 仲人の粋な利生の 結び神 いつか 
佃の浜千鳥 泣いた 別れも 有明の思いも つのる 夏の夜(よ)の 更けて 口舌の 二軒茶屋 エェェンも
憎らしい 明けの鐘

レコード五、 待つ夜かさねて・散るは浮き 竹にすずめは品よく

待つ夜かさねて

恋しい男を毎晩待ち続けて、月影が変わる様に細っていく身を、秋雨に打たれて縺れるように枝垂れた糸萩に托した、小唄です。後半は、雨で萩の露がいつ消えるか分からないように、両袖も涙で乾く間もないという解釈です。明治中期の作。

散るは浮き

散らぬは沈む紅葉葉の
影は高雄か山川の
水の流れに月の影

【解説】 清元お葉作曲
名人清元お葉によって作曲された小唄で、現在行われている江戸小唄の最初の記念すべき作品である。時は安政二年の大地震の年の師走頃、お葉は当時十六歳であった。
歌詞は雲州松江の城主松平不昧(ふまい)公の短歌「散るは浮き散らぬは沈むもみぢ葉のかげは高尾の山川の水」に、お葉が「高尾の山川の水」を「高尾か山川の水」と変え、末尾に「水の流れに月の影」と加えて小唄の歌詞としたものである。
高尾は京都市右京区の北にそびえる高雄山のことで、清滝川の渓谷の右岸にあり、同じ清滝の渓流に沿う栂尾、槇尾と共に三尾と称せられ、秋の紅葉の名所として名高い所。
「散るは浮き散らぬは沈むもみぢ葉の影」とは、散った紅葉は清滝の渓流に浮いて流れ、枝にある紅葉は、その真紅のかげを渓流の底に映じているという意味で、「山川」は山間の川の意味で「やまがわ」と「が」をにごってほしい。「月の影」は清滝の渓流にかかる月の光をいう。

竹に雀は品よく

竹にすずめは品よく止まる 
さて 止まらぬが 色の道
私ばかりが 情(じょう)立てて
思うお方の面憎や
ヨイヨイ ヨイヨイ
ヨイヤサ

レコード 六、  鶴次郎・坂はてるてる

鶴次郎・坂はてるてる

鶴次郎

心して我から捨てし恋なれど 堰きくる涙堪えかね
憂さを忘れん盃の 酒の味さえほろ苦く

【解説】
河上渓介詩、春日とよ曲。昭和十五年作。
原作は昭和十年に第一回直木賞を受賞した川口松太郎の小説「鶴八鶴次郎」。大正時代を舞台としたもので、昭和十三年に明治座で初演。鶴次郎(花柳章太郎)、鶴八(水谷八重子)の配役で昭和新派劇の傑作となった。この小唄はその大詰めの場面を唄っている。

坂はてるてる

坂はてるてる 鈴鹿は、曇る あいの土山 雨が降る

レコード七、 二人が仲を・萩はいじらし・虫の音を

二人が仲を

【歌詞】
本調子
二人が仲をお月様 それとすいなる朧影
吸いつけ煙草の火あかりに 話も更けてぞっと身に
夜寒の風にしみじみと じれったい夜も口の内
【解説】
江戸末期に作られた江戸端唄を小唄化したものである。
今宵も男は廓の中引け(午後十二時)過ぎに、遊女屋の格子先に忍んで来るので、二人の仲をすれと知ったお月さんは、粋をきかせて朧に隠れる。男は妓の格子越しに差し出す吸いつけ煙草の火明かりに、お互いの顔のやつれを見て、声も出さずに忍びなきする。夜は次第に更けて、夜寒の風が遠慮なしと二人の身に沁みるが、二人はこの先どうしようかという話し合いがなかなかつかない。妓は男の決心がつきかねるのをもどかしがって、「じれったいね」と口の中でつぶやく、といった光景を唄ったものである。(小唄鑑賞 木村菊太郎著)

萩はいじらし

萩は いじらし わが身はいとし
様は つれない あれ 秋風
ほんに やる 瀬が ないわいな

虫の音

虫の音をとめて嬉しき庭づたい
あくる紫折戸桐一葉
ええ憎らしい秋の空
月はしょんぼり雲がくれ

レコード八、 柳やお藤

この曲は本手が三下がりで、替手は本調子。作曲は春日流の流祖、春日とよです。
唄われている「柳屋お藤」は、浅草寺奥の、銀杏下の「楊枝店屋柳屋」の娘で、
笠森お仙、蔦屋お芳と共に 江戸明和年間の三大美人のひとりでありました。
「用事(楊枝)ないのに用事をつくり、今日も朝から二度三度」と、お藤の店に人々が群がりました。吉原や歌舞伎のように大金を使わずに、お茶を一杯頼んだり
買い物に行けば誰でも気軽に本人に会うことが出来たのが、当時の人々にとって
魅力だったようです。お藤の店の前には銀杏の木が多かったため、「銀杏娘」とも呼ばれて、鈴木晴信の
浮世絵にも描かれ、笠森お仙と共に一世を風靡しました。

レコード九、  話しらけて・こうもり

話しらけて

相愛の仲、ちょっとしたものの言い方が気に障り、お互い黙り込んでいるうちに夏の短い夜が明けようとしている。その夜空に情を誘うようにホトトギスがまた啼いている、という小唄です。

注釈:「つくねんと」は、ただぼんやりとしているさま。「口舌」は、痴話げんか。しっとりゆったりとした曲調 明治中期。

【番外 連続再生(40分)】

 

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